当たり前の営みを続け
本当に大切なものを
コミュニティで受け継ぐ

相伝−心のはなし 明日のために

沖ヶ浜田砂糖すめを守る
沖ヶ浜田黒糖生産者組合の専務理事長野広美さん(撮影・小早太)

砂糖すめの現場に
種子島の未来像が隠れている

サトウキビは、種子島の中で最も多くつくられており、島全域で栽培されている。いわゆる主幹作物だ。その大半が製糖工場で原料糖に。12月から翌4月頃まで、島のあちこちで刈り入れられたサトウキビをいっぱいに積んだトラックが走る姿がよく見られる。だが昔はそれこそ島中に、集落の人の手による製糖小屋が営まれ、住人総出で黒糖がつくられていた。これを砂糖すめという。残念なことに、集落でこれが受け継がれているのは西之表市伊関沖ヶ浜田集落だけだ。
沖ヶ浜田黒糖生産者組合が運営する製糖工場を訪ねた。
工場より工房と言った方がいいかもしれない。もくもくと湧き上がる蒸気の中で、たくさんの人影が黙々と動き回っていた。
話を聞かせてくれたのは沖ヶ浜田黒糖生産者組合の専務理事長野広美(ながの・ひろみ)さんだ。

サトウキビの刈り取りは集落総出でする

日本の縮図!?
いえ、失ったものの宝庫

「種子島に帰ってきた頃は、島は日本の縮図だと思っていました」
長野さんは、20年前にお父さんの介護のために種子島にUターンした。それまではアメリカに住み、巨大な企業で働き、退社後帰国してからも国際的なNPOの広報担当として世界を駆け巡ってきた。
「でもね、種子島で暮らしいているうちに気づいたの、ここは日本の縮図なんかじゃないって。日本の社会が戦後一貫して経済成長の中で蹴落としてきたものがまだまだたくさん残っているのね。その一つひとつのことがこれからいろんなことを考えるにしても、行動するにしても、様々な視点を提供してくれるし、そういう意味でこの島は日本の社会が失いかけているたくさんの可能性を持っているのだと思いました」
種子島は、この国の社会が経済成長の身代りに失ってきたものの宝庫だというのだ。
話を聞きながら砂糖すめの作業を見る。
「昔ながらの製法だっていうけど、それでさえ時代にあわせて少しずつ新しい要素が加えられているのですよ」
午後の日差しの中で、長野さんはゆっくりとこの20年をふりかえるように話してくれた。
「帰ってきた頃、沖ヶ浜田の黒糖づくりは70歳代の長老4人だけで、細々と続けていました。私が子どもの頃は島中いたるところにあったのに……。当然ですよね、経済効率悪いもの。大規模で機械化された製糖工場に出荷する方がずいぶん楽ですものね」

圧搾機にかける

これはすべての伝統的産品を取り巻く状況に酷似している。効率がよく楽な方に流れる。結果は市場だのみで、買い手が優位に立つのに……。
「おじいさんたちに出来たての黒糖を食べさせてもらったの。めちゃくちゃおいしかった。でも値段を聞いてびっくり。めちゃくちゃ安かった」
長野さんはすぐに集落の若い世代に声をかけた。「これやりましょうよ! いまやらないとなくなっちゃうよ!」と。だが期待した返事はなかった。
「やらない理由はいくつもあったけど、いちばんは苦労が大きいのにそんなには儲からないということかな。損するばっかりだと。損得で考えたら、いまの損得より将来の損得で考えるべきでしょ。でもね、ただただ目の前の利益だけで動くっていう感じだった」

圧搾された樹液はじっくり煮詰められる
火はすべて薪。絶やすことなく焚き続ける

競争原理から遠く離れて
競争に勝つ

長野さんがアメリカで勤めていた会社はGE(ゼネラル・エレクトリック)。世界最大とも言われる総合電機メーカーであり多国籍コングロマリット企業だ。退職帰国後、その会長であり「伝説の経営者」と呼ばれるジャック・ウェルチが来日した折に話を聞く機会があった。思い切って質問をぶつけてみた。「成功の秘訣は?」と。
彼はこう答えたそうだ。
「チェンジ!だよ。常に変化していく社会にどう対応していくかだよ」
と。
「瞬時に思いました。それって競争原理だよねって。変化にいち早く対応することで、競争を勝ち抜く」
そこに疑問を感じている人も少なくない。常に競争にさらされる社会が本当に幸せなのだろうかと。だが世界は市場の競争原理に支配されている。勝てば幸せになれる。一方負け組は……。幸せの対極には不幸がある。だから誰も負けたいとは思はない。
長野さんは思った。より多くの人を幸せにする社会ってどんな社会なのだろうと。
「種子島のような田舎(笑)にいると都会の経済的に豊かな部分をモデルにして、つまり真似て、あるいは目標にして競争を勝ち抜こうなんてバカバカしいと思えちゃう。勝手も負けてもたかが知れていると。そのために変化し続けるなんて、そんなに大切なこととは思えない。それよりも、田舎の良さをおもしろいと思える気持ちが大切なんじゃないかな。変わらないという選択だってあるじゃないかって」

タイミングを見計らって石灰(凝固剤)が投入される
煮詰まった液は大鍋に移される
攪拌することで空気を取り込み冷やされ固まる

変わらないという選択こそが、いままさに目の前で繰りひろげられている黒糖づくりなのだ。しかし、とその選択を悲観的に思う人もいるのではないか。競争って好むと好まざるとに関わらず巻き込まれてしまうもの。そんな状況下で田舎、つまり沖ヶ浜田のような地域社会=コミュニティはどうやって生き残ればいいのだろうかと。
「大丈夫よ」長野さんはきっぱり言った。「競争原理から遠く離れたこの集落にも競争原理の中で、これだったら負けない、勝てるという大切なものが残されているのだから」
「それが黒糖づくりですね?」
「そうね。ということで悪戦苦闘して15年!!」
長野さんは声を上げて笑った。

固まりきってしまう前に小分けにする
そうしてまた釜には新たな原液が入れられ、同じ作業が繰り返される

変えられなければ
自分が変わればいい

「これだったら負けない、勝てるという大切なもの」(長野さん)を見つけるためには何が大切かを考えて見る。それは、ヒト・モノ・コトを中心に地域の隅々までを再発見することではないだろうか。それなしでは地域の実像が見えてこない。実像が見えなければ安易な再開発につながるだけだ。
長野さんは言う。
「安易な再開発は大量の消費と破壊につながる」
と。
まだまだ経済成長を追求しようという人たちは、「Sustainable Development=持続可能な開発」という言葉を持ち出す。これは、将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発という意味らしい。わかりやすくいうと、親が全部食べちゃうと子どもに何も食べさせられなくなるよということ。だから食べ尽くす、使い果たすのはやめようよと。腹八分目か満腹か……。問題は食欲なのだ。
持続可能な開発を言い訳にして満腹を追い求める風景があちこちで見られる。本当に持続可能を目指すなら再開発ではなく再発見こそが必要なのではないだろうか。
「何を続けるのかということでしょ。成長を続けるのか、目の前の暮らしの営みを続けるのか、その選択の問題ですね。実は私たちの暮らしの営みってけっこう危機的な状況にあって、一旦手放すと二度と取り戻せないものがいっぱいあるンじゃないかと思います」
種子島、沖ヶ浜田の暮らしにはそんな宝物のようなものがいっぱい残っているのだ。黒糖づくりはその象徴。
「何とか続けなきゃと長老たちと話し合い若い世代に呼びかけたけど、世代間の溝ってけっこう大きいンです。まず大人の側が自分たちの成功事例を持って若い世代に接するとうまくいかない。長老たちは偉大すぎるのね。ひとつのことをやり続けるのって、とても大変なことで、勇気のいることでしょ。とても頑固で素晴らしいくらい厳しい。人としての魅力もすごいしね。若い人たちからすると真似なんかできっこないとても大きな壁なの」
長野さんは笑いながらそう言った。いまとなっては乗り越えることができた壁だから笑ってふり返れるのだ。なぜ乗り越えることができたのか。
「長老たちに変われと言っても無理。自分自身に厳しい人たちに優しく指導してくれっていうのも無理でしょ。若い世代が、もし本当に残したい、継続したいと思うなら、自分たちが変えていったら、変わっていったらいいって思ったの。そうしたら若い人たちに声をかけやすくなった」
長老たちが柔軟に変わってくれないと自分たちが引き継げないという思いは、とどのつまり他人事だと長野さんは言いたいのだ。営みを続けることは自分の問題。そうやって自らの意思で世代を継いでいくことが大切なのだ。

長老たちの表情は自信と確信に満ちている

一子相伝のDNAではなく
地域コミュニティのDNAを

ある年、沖ヶ浜田の神社の秋季大祭で、長野さんは貴重な体験をしたという。
「神社の本殿の中で神主さんの祝詞を聞いていました。雨の日だった。雨戸の隙間から見える南方系の庭は田中一村の絵のようにみずみずしく美しかった。遠くから鳥たちのさえずりが聞こえてきて……。神主さんは跡を継ぐという息子さんと一緒に祝詞をあげていた。息子さんはまだまだたどたどしくて、いままさに発展途上って感じでした。それが初々しくて微笑ましかった。その後ろ姿を見て、次の世代に託すというのは社会を変えることだというくらいの思いがあったンだけど、ああ、もっとプライベートで、自然でいいンだと思えるようになりました。難しいことじゃなくて、すべて託しちゃえばいいと。結果もね」
それを聞いて、ハッとした。受け継ぐということに対して社会はあまりにも厳しくないか。結果が完璧であることを求めすぎてはいないか。いや、完璧でなければ許さないと言った方がいいかもしれない。
だから伝える側は社会の評価を、市場の評価を気にして、慎重になり厳しくなる。だけど結果自体も託してしまうと、そこにゆとりができる。
「伝える、託す側は結果もすべて託しちゃえば、託された方は自然と自分の問題だって自覚しますよ。そこが一番大切じゃないかな」
なるほどと思った。目の前では世代を超えた人たちが働いていた。はじめは黙々とカラダを動かしているだけだと思ったが、さまざまな会話が交わされている。笑顔が交わされている。楽しそうに働いているのだ。
砂糖すめのというものづくりだけではなく、ものづくりを楽しむ心が受け継がれている。そう思える風景だった。世代を継ぐことは美しい。ものづくりを楽しむ心を伝えることでコミュニティが維持されていく。そう思える風景だった。
伝える世代はつくった黒糖を、それこそ市場に委ねるしかできなかった。だが、受け継ぐ世代はネットやSNSを駆使した市場の開拓はもちろん、自分たちが大切だと思うモノ・コトをちゃんと評価してくれる社会の形成を目指しはじめている。
グローバルな経済効率優先・競争原理の中で忘れられようとしている地域コミュニティの素晴らしさ、美しさがある。それは世界に目を向けているだけではわからない。自分の足下、地域を再発見することが何よりも大切。そんな思いが、地球の片隅、日本の片隅のここ種子島沖ヶ浜田には息づいている。一子相伝のDNAではなく、地域コミュニティのDNAが息づいているのだ。沖ヶ浜田はそのことを黒糖に託して世界に発信しようとしている。そして明日を迎えようとしているのだ。

沖ヶ浜田には今日も甘い香りを含んだ湯気が立ち上る

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