「瀬戸際に立つ鰹節」
伝統の製法とEU食品安全基準の間で揺れる鰹節


心と文化を枕崎から世界へ
相伝−心のはなし 鰹節の場合(1)

日本本土の南西の隅に枕崎市はある。人口20,447人1の小さな地方都市だ。まちと言った方がふさわしいかもしれない。このまちに一歩足を踏み入れると、あちこちから煙が立ち上り独特の香りが漂うことに気づく。ここは300年以上にわたって鰹節をつくり続けてきたまちなのだ。この小さなまちが鰹節を通じて日本の伝統的食文化を一心に支えてきた。
いまこのまちは大きく揺れている。それは日本料理を代表する京料理にとっても、決して他人事ではすまされない話だ。いや、その揺れがやがて全国に波及すれば、この国の食文化の将来のあり方を左右する重大な問題だと言ってよさそうだ。

日本的なるもの

京都から来たという目の前の料理人の言葉に、的場信也さん(55歳)は驚きを隠せなかった。料理人の店は、京都で何代も続く名店で、しかもミシュランの星を獲得し続けているというのだ。その彼が、
「本枯れ節の元の形を見たのは初めてです」
と言ったのだ。信也さんは自分の耳を疑ったが、料理人は確かにそう言い目を輝かせて本枯れ節を手に取った。
裏を返せばその名店は削り節を仕入れてだしを引いているのだ。正当な京料理の伝統を受け継ぐ、本格を自認する料理人がそうなのだ。「初めて」というのは誇張かもしれないが、どちらが頭で尾かもわからないところから察すると、本枯れ節がいかなるものかは本当に知らないのだとよくわかった。
1日に大量の鰹節を使う料理店、飲食店なら、自家で削る手間と労力を省くために削り節を仕入れるのもうなずける。その料理人が鰹節そのものを見たり、触ったりしたことがなくとも不思議ではないなと信也さんは思った。
「大切なのは形ではありません。大切なのは、鰹節に込められたつくり手の思い、つまりものづくりの思想なんです。本物の鰹節にはその思想がつまっています。そしてその思想こそがだしをうまく豊かにするのだと思っています」
信也さんは、枕崎市に本社を置く鰹節製造会社的場水産株式会社の4代目社長だ。
創業は1956年(昭和31年)と、鰹節1300年の歴史からいうとまだまだ新しい会社だが、当初から本物の鰹節にこだわってものづくりを続けてきた。
「祖父が創業して、父が受け継ぎ、僕の弟が3代目を継ぎました」
その弟が若くして亡くなった。税理士を目指し上京していた信也さんが帰郷し4代目社長に就いたのだ。

「家族が大切に受け継いできたというか、この枕崎で大切に受け継いできた伝統のものづくりですから、絶やすことはできないって思いました。我が家の50年の歴史を受け継ぐというだけじゃなく、枕崎300年の歴史を受け継ぐという覚悟で継ぎました」
鰹節の歴史をのぞいてみる。鰹節はそれが古来日本の味覚、旨味を担ってきたという意味で、日本人の暮らしには欠かせないものだ。
和銅五年(712年)太朝臣安萬侶の手で編纂された現存する日本最古の歴史書「古事記」の中に、雄略天皇が国見の途上「その堅魚(かつお)を上げて舎(や)を作れるは、誰の家ぞ」と従者にたずねるくだりで「堅魚」として登場する。これは「堅魚木(かつおぎ)」の略で、神社や宮殿の屋根の棟木の上に載せた鰹を象った木のことだが、鰹とはもちろん生の魚ではなく乾燥させた、いまで言う鰹節だと考えられる。つまり鰹節は1300年以上も前から存在していたのだ。しかし、この「古事記」の記述もって鰹節の発祥、歴史とするのはいかがなものかという説もある。
歴史の中で、鰹節が飛躍的な発展を遂げるのは江戸時代宝永年間。それまで煮て天日で干すだけだったが、紀州の漁師によって、煮て燻しその上で乾燥するという製法が考え出された。燻すことで長期保存のための殺菌効果が確保されると同時に、鰹節本来の香ばしさと深い旨味がもたらされた。
その製法が宝永四年(1707年)枕崎に伝えられた。以来300年以上当時のまま守り伝えられている。
信也さんはその歴史と伝統を受け継いでいると自認しているのだ。
「しかし、これは時代に逆行することなのかもしれません」と彼は言う。「いま日本からほんとうに日本的なるものが消えちゃうんじゃないかとすごく危機感を持っています。食の世界でも、古いというだけでいいものがどんどん打ち捨てられ、新しいけれど特徴のない便利なものだけがもてはやされているような気がします。枕崎はそんな風潮に抗いながら300年あまりの時間を重ねてきました。鰹節とともにあった枕崎の300年は単なる時間の堆積ではなく、鰹節という日本の食文化の根幹を守り伝えてきた歴史そのものだと思います。だけど……」
信也さんは言葉を濁した。

一方で日本的なるものは海外から評価されている。
2013年12月4日、ユネスコは和食(WASHOKU)の世界無形文化遺産への登録を決めた。決定の理由は、和食が文化として自然を尊重し、暮らしの中に自然を生かす日本の心の表現そのものであり、伝統的な社会慣習として世代を超えて受け継がれているというものだ。
ここで言う和食とは、料理店で供される料理はもちろんだが、暮らしの中で正月などの年中行事と密接に関わり、自然の恵みである素材を巧みに扱い、食の時間を共にすることで絆を深めてきた家族や地域の文化そのものを意味する。
日本国内で和食離れが進む状況下でこの決定は快挙と言ってもいいだろう。この背景には、確かに料理関係者などの尽力があったことも事実だが、海外、特にEU域で日本食に対する評価が高まったことも大きな要因だ。2013年当時EU域には1万軒を超える日本食レストランが営業していた。
「この海外からの評価っていうのもね……、ひとつの足枷(あしかせ)なのかな。日本的なるものか……」
伝統の最先端に立つ信也さんには憂鬱なことがあるのだ。

本物であることが障害になる

先に日本国内で和食離れが進んだと述べたが、だとすればだし離れが進んでいるのだろうか。
「鰹節の生産量自体は減っていません」信也さんが言った。「平成30年に全国で28,712t。ここ数年3万t弱で推移しています。そのうち鹿児島は21,436tですから、75%を生産しています。年ごとに増減の幅がわずかながらありますが原材料のカツオが高くなると仕入れを控えて生産を抑えるような事情があるからです。原材料代がきついんですよ。右肩上がりではありませんが、生産量は安定しています」

つまり特段だし離れが進んでいるということはないのだ。多くの人にとっては意外な話かもしれない。伝統的〇〇と言えばほとんどが斜陽産業だと見られているからだ。
たしかに家庭でだしを引き料理をするなどということは滅多に、いやほとんどないに違いない。しかし日本の食生活はやはりだしが基本になっているのだ。だしの材料となる鰹などの節や昆布は、そのものの形で消費される機会も量も減っている。しかし形を変えて消費されているのだ。
「鰹節や削り節の消費量が伸び悩んでいるように取られがちですが、いわゆるだしパックなどの風味調味料(鰹節、昆布、シイタケなどに化学調味料等を足したもの)、麺つゆなどに使われる鰹節も年々増加しているし、消費量も増えている。鰹節が粉末や液体に形を変えて家庭でも使用されていることがわかります。たしかにファストフードやレトルト食品、コンビニご飯などと食は多様化しましたが、僕は決してだし離れや和食離れ、ましてや鰹節離れが進んでいるとは思っていません」
そう言えば、冷凍のたこ焼きやお好み焼きにも鰹削り節のパックがついているし、カップ麺のだしや、スナック菓子類にも鰹節の粉末が使われている。食品の原材料としての消費量は年々増えている。それを裏付けるように海外からの鰹節の輸入量は増え、現在は国内生産量の1割程度だが年々増える傾向にある。
一方で和食の世界無形文化遺産登録を契機に、鰹節輸出への機運も高まった。

他の伝統的食品の例に違わず、鰹節についても少子高齢化、減少の一途をたどる人口は業界の安定的な存続にとって大きな問題なのだ。当たり前のように輸出に活路を見出そうとする。輸出先としてはアメリカとEUが大きな対象となる。特に和食への関心が高いEUは魅力的だ。和食レストランだけではなく、フレンチの世界でもだしは注目を集めている。だしに関しては未開の地と言ってもいい状態であり、本物のだしの味を広めることができれば鰹節にとってEUは大きな市場になると期待は膨らむ。枕崎でも輸出への期待は膨らんだ。
「だけど、そんなにうまく事は運ばないのです。本物の鰹節にこだわって輸出しようとすればするほど不可能なのです」
EUは厳しい食品・衛生規制基準を持つ。これをクリアしない限りEUには食品を輸出できない。現状では国内で生産された鰹節をそのまま輸出することは困難だ。その理由のひとつに発がん性物質だと見なされる多環芳香族炭化水素類(PAH 2)、とりわけベンゾピレン(BaP)の含有量がある。伝統的な製造工程を守れば必ずぶつかる壁なのだ。逆に伝統的な製造工程を守るからこそ本物の鰹節だと言えるのだが。つまり、本物であることが障害になるのだ。

EU基準と伝統の製法と

1本の鰹節ができ上がるまで、いったいどれだけの時間と手間がかかるのか。鰹節はどのようにつくられるのか。「細かにご存知の人は珍しいですよ。その工程を目の当たりにした人は、ほとんどみなさんが驚きの声を上げられます」(信也さん)
鰹節の製造工程に触れておかなければならない。

最初の工程生切りの風景。伝統的な捌き方だ


的場水産では昔ながらの製法にこだわって鰹節をつくり続けている。急速冷凍されて水揚げされたカツオを解凍してさばき(5枚におろし)、茹でて(煮熟)骨を抜き整形する。それから2週間をかけてじっくり燻す。特にその後カビをつけながら熟成してゆく本枯れ節は短くて数カ月、長ければ半年以上を要するものもある。どの工程も機械化、オートメーション化することが困難で、職人の技術と経験に頼った手仕事ばかりだ。まさに緊張の連続で一瞬の気のゆるみも品質に大きく影響する。
「でき上がった本枯れ節を2つに割ってみると、断面は宝石の瑪瑙(メノウ)のような美しい輝きを放っています。僕は、鰹節って海の幸であるカツオを、手間暇かけて宝石のように仕上げたものだと思っています。そのためには伝承の技術を身につけた熟練の職人が、伝統の工程を守り仕事をしなくてはならないと思っています。この工程のどこを省いても本物の鰹節とは言えないのです」
鰹節のこと、ものづくりのことを話す信也さんの目は強い光を放っていた。

急造庫内部 1 階。ここで薪を焚いて2階に節を置き燻をかける


問題のPAHは燻す(焙乾/ばいかん)工程で発生する。的場水産の場合は短いもので10日間、長いもので16日間程度焙乾を繰り返す。この初期段階で水気を取り、表面の雑菌群発を防ぎ、その後火入れを繰り返し、鰹節の水分を除去すると同時に独特の香ばしさを生み出す。焙乾が進むと、煙の中に含まれるフェノール類物質が節に含まれる油分の酸化を防ぎ、結果として節の変質・劣化を防ぐ。この効果で長期にわたり風味が保たれるのだ。鰹節本来の風味は、この工程でタンパク質が旨味成分に変異することで生み出される。焙乾を終え、表面に付着したタールと脂肪分を取り除けば裸本節(荒節)が出来上がる。

急造庫内部2階


PAHはこのタールに含まれるのだ。焙乾の時間が長ければ長いほど、付着するタールの量は増えPAH4の含有量は多くなる。しかも表面だけではなく節の内部にも浸透する。これが健康被害をもたらし最悪の場合がんを引き起こすというのがEUの立場なのだ。
EUはPAH4について、和食(WASHOKU)の世界無形文化遺産登録当時、鰹節を含む燻製魚類製品に対し1kgあたり30μg、BaPについては5μg以下という厳しい基準を設けた 3。鰹節はこれをクリアすることができなかったが、2014年9月EUは基準をさらに厳しくした。PAH4は1kgあたり12μg、BaPは2μg以下というものだった。EUへの鰹節輸出は不可能になった。農林水産省はEUに譲歩を求める提案を行った。〈直接食することのない出汁抽出用の食品として鰹節をEUへ輸出できないか〉と。その結果鰹節には厳しくなる前の基準を引き続き適用することになったが、それでも鰹節にはほとんどクリア不可能な数値だった。しかし、一旦高まった輸出への機運が収まることはなかった。
EUで和食への関心が高いうちに鰹節の市場を確立しなければならない。枕崎には輸出ができないなら、EU域内に製造拠点を設け現地で鰹節をつくり普及しようという製造者たちが現れた。しかし現地でつくったとしても、厳しい衛生・食品規制基準をクリアしなければならない。彼らは焙乾の工程を省き、独自に開発した乾燥機にかけることでタールの付着を回避し、PAH4の数値を基準内に収めようとした。300年以上続く伝統的製法の一部を変えることにしたのだ。しかしこれでは、鰹節本来の香ばしい風味は当然生まれない。

〈製造方法を変えたら本物の鰹節と言えないのではないか?〉
〈焙乾を十分にしない鰹節は、鰹節と呼べるのか?〉
〈似たようなものができても、鰹節の風味とはかけ離れたものにならないか?〉

などという声が業界からも上がった。
その議論は〈昔ながらの製造方法は踏襲しながら、欧州の規制基準をクリアする製造方法を確立する〉と集約され、フランス・コンカルノーという枕崎と似た漁港のある町に、〈枕崎フランス鰹節製造工場〉が設立された。2014年4月のことだ。
さらに国内でもそういった手法を採用しようという製造者が現れた。信也さんは言った。
「昔ながらの製造方法を踏襲してないじゃないかと言うと、それが技術革新だと反論されました。たとえば5枚におろす作業を機械化するなら、技術革新だと同意できるけど……。産地全体が、本物か、ビジネスチャンス拡大かというジレンマに陥りました。僕自身枕崎フランス鰹節には参加しませんでしたが、反対もしませんでした。ただ、グローバリズムという言葉の裏側で、ものづくりへの思いが、ビジネスチャンス拡大、利益追求という思惑に支配されていくような気がして、僕の進むべき道ではないと感じていました。僕は僕なりに昔ながらの本物のものづくり、本物の鰹節づくりを徹底的にやろうと思ったんです。いろいろ揺れましたけどね」
と。その表情はどことなく精彩を欠いていた。



本物の味を正直に

弟の急逝を受けて枕崎に戻った的場信也さんが、4代目の社長に就いたのは1999年のことだった。健在だった父の下、ものづくりと経営を学んだ。特にものづくりでは父の知識と経験が欠かせなかった。
「税理士を目指していたので、経営のことは少々わかりました。でも、ものづくりとなると……。高校生の時に製造の現場に入って手伝いをしたことはありましたが、ほとんど素人でしたから大変でした。弟は大学で水産関係の勉強をしていましたが、僕は全くの畑違いでしたからね」
就任直後の2000年、400万円だった資本金を3000万円に増資した上で、パウダー工場を新設した。2003年には父が他界する。だが彼は悲しむ間も惜しんで精力的に動いた。さらに2006年には先行していた削り節工場とパウダー工場を統合し拡充した。これからのはずだった。

2007年にサブプライム住宅ローン危機を発端としたリーマンショックとそれに連鎖した国際的な金融危機が起こり、すべてのものが世界同時不況の渦に巻き込まれていった。的場水産も例外ではなかった。思うように売上が上がらず、巨額の設備投資が重荷になった。
信也さんは状況打開に動いた。金融機関を駆けずり回り、粘り強く交渉を重ね、詳細な経営再建計画を提示して支援を取り付けた。
当時、いや、これはいまでもそうだが、鰹節の価格は原材料のカツオの魚価に大きく左右される。魚価の相場が経営に大きく影を落としていたのだ。魚価が下がると鰹節の価格が下がり、結果として売り上高が落ち経営を圧迫する。魚価が上がっても価格に反映することが難しい。つまり値上げが困難なのだ。結果的に経営を圧迫することになる。これでは質の高い鰹節を安定的につくり続けることはできない。安定的な利益確保もままならない。
そこで彼は、カツオの相場にこだわらず年間の仕入れ量を確定し、年間生産量を確定した。それにより取引価格を安定させ、安定的な利益確保を目指した。これを経営の柱に据えたのだが、これでは他社よりも当然価格は高くなる。実現するには商社・食品メーカーとの交渉が大きく作用するのだ。そのためにも質の高い鰹節をつくり続けることが絶対的な命題となるのだ。
「それは経営上の、数字の上だけの話です。口で言うほど簡単じゃない。ベースには的場水産のものづくりに対する信頼がないとなかなかうまくいくもんじゃない。いいものをつくって、どうしても的場水産の鰹節が必要だと思ってもらえたら、他社と比べて少々高くなっても選んでもらえます。これも口で言うほど簡単じゃないですけどね(笑)」
いまでこそ笑いながら振り返ることもできるが、その当時は本当に苦しかったと言う。それでも彼は、苦境の中で本物のものづくりを続ける大切さを学んだ。この頃からだ。信也さんは

〈本物の味を正直に〉

という言葉を自社のスローガンとして使いはじめた。
「守るべきは経営だけではなくて、ものづくりと一体となった経営だと確信しました。ものづくりに徹して本物をちゃんとつくり続けるからこそ経営が成り立つのです」
本物をつくり続ける難しさ、大切さは的場水産4代にわたって語り継がれてきたことだ。リーマンショック以降の逆境で、信也さんはその意味の深さを知り、以降それを実践することになる。
「この頃ようやく300年以上続く鰹節づくりの伝統を受け継げたかなと思います」

伝統の味と安全・安心

「伝統的なものづくりって、まさに不易流行だと思います。変えてはいけないものをしっかり守り、時代の要請には迅速に対応していく。変えてはいけないものって何かって? それはそのものの本質でしょ。鰹節で言うなら鰹節が本来持つ風味、旨味ですね。それを守るために技術革新はあるのだと思います」
EU輸出向け鰹節製造に積極的に取り組もうという製造者たちは、焙乾を乾燥に置き換えることを技術革新だと主張するが、それはEU域内への輸出と市場確立を急ぐための合理化に過ぎないと信也さんは言う。
「EUに対して粘り強く理解を求めようとはせずに、向こうの基準にものづくりを合わせようとする。それは本物の鰹節とは呼べないでしょう。でももし、それが本物だと思われたとしたら、間違った和食文化が世界に拡がってしまうというのが僕の不安です」
業界の中には、EU市場を目指すために伝統的なものづくり、本格のものづくりを放棄しようという動きがあることは事実だ。古くからの伝統的製法が新しい市場を開拓するためには足かせになることもあり、特にEU域への輸出を目指す場合、これらを放棄せざるを得ないと。
一方でこれは加工食品を輸出するメーカーの声を代弁したものとも受け取れる。EUの食品規制基準は2021年4月から加工食品の原材料にも及ぶのだ。現状のままではカップ麺、液体・粉末だし、だしパック、麺つゆ、ふりかけ、菓子等々、鰹節を原材料に使ったすべての加工食品が輸出不可能になる。
「乱暴な言い方をすれば、少々味を変えてでもEUの基準をクリアした鰹節が必要なのです。その背景には、残念なことにこれが本物の鰹節だという基準が明確ではないということがあります。本物のものづくりは横に置いても、まず利益を確保するということですね。僕らつくり手の思いが理解されていないなと、少しさみしくなりますけどね」
このことはもうひとつの不安要因を生み出している。それは海外からの輸入鰹節の増大だ。いまでも年間4000t近くが輸入されている。これはあくまで可能性の話だが、すでに国単位でEUのHACCPを取得していると見る向きもある。EUの基準をクリアした鰹節をつくっているのだと。国内産鰹節の対応が遅れれば、21年4月以降加工食品の原材料としての輸入が爆発的に増加する可能性もあると国内製造者の間では懸念が拡がりつつある。
「本物がどんどん追いやられていくのではないかと不安です。輸出用加工食品のためだけじゃなくて、節とか削り節の商品として普通に流通するようになり、鰹節本来の風味が忘れ去られてしまうというのは考えすぎでしょうか(苦笑)」

荒本節 別名裸節。カビをつける前の状態だ(写真提供:的場水産)


では彼はどのように対応しようとしているのか。
「理解を得ることが第一だと思います。当面EU域には輸出できなくてもかまわないと。EUの和食レストランと国内の料理店では、だしの味は確実に違うはずです。まず本物を食べにきてください。本物の味を知ってください。そんなアナウンスからはじめてもいいのではないかと思います。それにPAH4、BaPの発がん性が危険だというなら、長年食べ続けている日本人はみんながんになっちゃう(笑) そんなことはないわけですよ。そういうところからの理解を求めたいですね。EU以外のマーケットには輸出は可能ですから、少々時間をかけてでも本物を味わってもらう方がいいに決まっています」
そうは言うものの理解されることを待つのみではだめだ。そんな彼の思いはここ10年の的場水産の取り組みが物語っている。
2014年2月、業界では他社に先駆けてFDA(アメリカ食品医薬局)の査察を受け入れ、2016年12月には工場をダーティゾーンとクリーンゾーンで明確に分離し、国際認証基準を満たす施設とした。さらに、水揚げから輸送、冷凍保管など鰹節製造のすべての工程に対する厳しい基準を満たし、2014年にISO2000:2005を、さらに2020年には中国向け輸出水産食品施設認定、HACCP米国向け輸出水産食品加工施設認定、ISO22000:2018取得し、守るべきものは伝統と味だけではなく、顧客の安全と安心だという思いを実際の形にした。


それだけではなく削りから封入までを自動化した削り節パックラインや、顧客のニーズにきめ細かく対応する粉砕・パウダーラインを整え、文字どおり技術革新を推し進めている。
「枕崎は日本一の鰹節の産地ですよ。ということは世界一の産地なのです。僕たちが京料理の命であるだしを支えているし、四季を通じてこの国の食卓を支えている。日本の食文化は枕崎が担っていると言ってもいい。そういう自負を持って、伝統の味を守る心と安全・安心を鰹節に込めて世界に発信し、さらには次の世代に手渡していきたいと思っています」
これからの課題はと彼にたずねた。

湿度管理された保管庫の内部で節は眠りにつく


彼は時間をかけてじっくり考えて答えてくれた。
「これはあくまでも僕の問題意識としてですが、ひとつは鰹節ってなに?と聞かれた時に、鰹節に携わるすべての人が、鰹節とはなにか、本物の鰹節とはいったいどのようなものなのかをちゃんと説明できるようにすること。もうひとつは産地が産地として顧客の安全・安心を担保するために国際基準の認定を取得すること。そうして鰹節の伝統的製法をものづくりの思想として次の世代に伝えていくこと。この3つかな」
「むっつり頑固な信ちゃん」と人は彼のことを呼ぶ。一旦こうと決めたら安易な妥協はしない。そういう性格だと人に取られているのだ。ただしそこに利己はない。伝統の食品鰹節にとって何が大切なのか、それが問題なのだ。鰹節というものづくりは、的場信也という人間が生きていくための哲学そのものだと言ってもいいだろう。
彼の哲学が枕崎から消える時、それは本物の京料理が失われる時になる。本物の京料理だけではない。我々が慣れ親しんできた日本の家庭料理、「おふくろの味」が失われる時だ。それはつまり、ユネスコが言う「和食(WASHOKU)」の存亡の危機なのだ。

苦渋の決断−本物を守るために

最後の取材からひと月以上が経っていた。ふたたび話を聞く機会を得た。
その時信也さんは、先に話してくれた3つの課題に加えて、新たな決断をしていた。
彼の危機感はなかなか産地全体のものにはならない。それどころか鰹節とはなにか、本物の鰹節とはという基準づくりにも、なかなか温度差があり議論が進まないのだ。どちらかと言えば、それらを差し置いてでも伝統の製法を曲げEUに輸出可能なものづくりに転換しようという声は日増しに強くなっていく。その状況は、彼にとっては輸出に前のめりになって、「浮き足立っている」としか映らない。
「これでは、製法を変えたとしても、ちゃんとしたものができるかどうか……」と。
そんな思いに駆られて信也さんは動いた。EUの基準に適合したものを試作することにしたのだ。それが避けられない道だとしても、それでも最高のものづくりをしたい。最善のものをつくりたいと思ったからだ。
「苦渋の決断ですよ。本当はこんなことしたくない。つくりたくない。でもね、それがもし流れとして拡がっていくとしたら、中途半端なものじゃダメだ。本物と遜色のないものをつくらないと。でもそれを鰹節とは決して呼べない。カツオ加工品ですよ、あくまでも。出来上がったものは似て非なるものです」
信也さんは表情を厳しくした。

左が通常通り燻をかけたもの。右が EU の基準に合わせて乾燥させたもの


出来上がった2種類の節を並べて見せてくれた。一見しただけでは見分けにくい。しかしよく見ると燻をかけず、乾燥させたものは皮が生っぽいし、匂いを嗅ぐと少々生臭さが残っているようだ。
削ってみるとほとんど見分けがつかない。削り節を口に運んでみる。燻をかけたものは、鰹節本来の香ばしさが口にひろがる。しかし味という意味ではやや薄いように感じる。乾燥させたものは香ばしさには欠けるが、味は少々塩辛い。それに味の上でも生臭さは否めない。さらによく味わうと……、
「ツナ缶の味がするでしょ」
信也さんが小さく笑った。確かにサンドイッチやおにぎりで馴染んだツナの味がする。俗に言う「ツナ」はマグロのことだが、コンビニのサンドイッチやおにぎりで親しまれている「ツナ」はカツオを原材料にしたもので、「ホワイトツナ」と呼ばれる。乾燥するということはその味を凝縮するということだ。焙乾をせず乾燥して味を凝縮しただけのものでだしを引いた時に、料理としての味にどのような変化、影響があるかはわからない。それに、と信也さんは言った。
「鰹節本来の味を知っていてもなかなか区別がつきにくいでしょ。知らない人にこれが鰹節の味だと言えば通ってしまいます。それが主流にならないとは限らない。でも、流れを止めることが難しいなら、流れていく方向、その質をちゃんとしたものにしなければならない。そういう基準をきちんとつくりたいと思っています。ギリギリまで鰹節に近づける。遜色のないものをつくる。その基準を僕がつくろうと思いました。それが決断をした理由です」
「本物の鰹節」との差をギリギリまで詰めるというのだ。
「本物に徹したいというのは言うまでもありません。でも、一方で本物と似て非なるものの2極化は避けたい。本物は高級品としてしか生き残れなくなる。伝統的産物の世界ではよくあることですけど、ひろく暮らしの中で使ってもらわないと意味ないですからね。鰹節は日常買いまわり商品ですから」
まずは本物の鰹節と遜色のないものをつくること。次にEU域への輸出と、拡大しても輸出用食品の原材料としての出荷に止める。第三にその生産量、出荷量が大きくなる前に、本物の鰹節の食品基準をきちんと設けること。その上で、文化として伝統的な和食を守り発展させること。信也さんはそのことを新たな仕事として受け止めている。それは本物を受け継ぎ引き渡す「伝承」を使命とする者の宿命とも言える苦悩そのものなのだ。
今日もどこかで、1杯の味噌汁に癒されている人がいる。あるいは家族の団欒を楽しんでいる人たちがいる。
信也さんは言う。
「僕たちが支えているのは日本の食文化ですが、文化って言っちゃうとなんだか大袈裟で難しくなるけど、実は1杯の味噌汁に癒されたり食事を楽しんだりした時に自然に出る笑顔だと思います。ユネスコだって和食の本質は食の時間を共にすることで絆を深めてきた家族や地域の文化そのものだって言っているでしょ。それって絆だし、そこから生まれる笑顔だと思うんです。
僕は食を通して笑顔を守りたい。だからこそ本物の味を正直に届けたいし、そのために真剣に悩まなくてはと思うのです」
受け継ぐこと、守ることの難しさを知った彼のチャレンジははじまったばかりだ。

(文と写真/清水哲男)

伝統の製法とEU食品安全基準の間で揺れる鰹節に関しては、
現在進行形で生産者、産地にさらには食品加工メーカー、
消費者に対して取材を進めています。引き続きこの場で、
不定期に公開していきます。


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注釈

  1. 令和元年度「枕崎の統計」による
  2. 食品中に含まれるPAHは30種類程度。EUでは特にベンゾピレン、ベンゾアントラセン、ベンゾフルオランテン、クリセリンの4種類をPAH4と称し厳しい基準を設けている。
  3. EU の食品規制基準と鰹節の関わりについては以下を参照願いたい https://www.maff.go.jp/j/shokusan/hq/i-9/attach/pdf/katsuobushi-1.pdf.
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