心のはなし

父の道具

ぼくの実家は、6代続いた指物師の家だった。
ぼくは7代目を継ぐはずだった。
そのことで、ぼくと父の間にはいろんなことがあった。そうしてぼくは家を出、稼業は6代で終わった。ぼくが家を出たのは小学校卒業と同時、13歳になる春のことだった。それ以来父とはほとんど向き合ってこなかった。
だけどこころの内では、いつか向き合いたいと思っていた。父が80歳を過ぎ、ぼくが50歳を過ぎた頃、その思いはますます強くなったが、結局果たせずにいた。
数年前、90歳を過ぎた母の歌集を出した。それをいちばん喜んだのは父だった。母の歌集を真ん中において少しずつ話せる時間が増えた。時間が増えるにつれて、父のために何ができるだろうかと考え続けた。ある意味それは、父に対する、あるいは途絶えてしまった稼業に対する、罪滅ぼしだったのかもしれない。結局ぼくは、父が大切にしながらすでに使わなくなった道具を写真に収めることにした。父の道具たちは母の歌同様、父の人生そのものであるような気がしたからだ。家の歴史そのものである気がしたからだ。
2日をかけ、準備としてすべての道具を撮ってみた。その間、父と2人きりだった。ぼくは会話の空白を恐れて、父が仕事をしながらずっとつけっ放しにしていたというラジオを倉庫から引っ張りだし埃を払ってつけた。父は傍らでそれが何に使う道具なのかを細かく説明してくれた。時間にして8時間。こんなに長く父と話したことはなかった。父もきっとそう思っていたはずだ。
結局父のために何ができるかというのは、自分のためにということだったんだと思った。 「うまいこと撮れてるか?」と母がのぞきにきた。
父と笑いながらしゃべっているぼくを見て、あるいは父を見て、少々驚いたようだった。
並べられた道具に目をやった母がぽつりと言った。
「これがうちらの生活やら人生やら支えてくれてたんやなあ」
「そうや」
父の一言はとても多くを語っているような気がした。
ぼくは黙ってシャッターを切り続けた。
古いラジオが、その日京都市内は36℃を超えたと騒いでいた。

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